11月10日に出た滝本弁護士との裁判の判決には、受け入れがたい内容もあったため、控訴いたしました。
今回は、判決の中でもっともおかしいと感じた点について、記事を書かせていただきます。
以前の記事にも書きましたように、この裁判は、滝本弁護士が、存在しない「三女派」の監視を公安調査庁等に求める上申書を提出し、その上申書を公開したことについて、名誉毀損にあたるとして闘っていたものです。
いわゆるオウム真理教の後継団体といわれている、アレフやひかりの輪、山田らの集団は、無差別攻撃をする危険性があるとして、団体規制法にもとづく観察処分の対象とされています。
驚くことに裁判所は、滝本弁護士がこれらの団体と同様に、わたしについて、大要「規制対象団体と同様に外部に無差別攻撃する可能性があると考えたとしても不合理とはいえ」ないと判断しました。
理由として、わたしが子どものころに置かれていた「宗教上の地位や立場」、教団から経済的支援を受けていたという「報道がされたこと」(事実ではありません)、下の弟を教団に巻き込まないでほしいと教団の人にお願いし、手紙を出したことなどが挙げられました。
このような理由から、わたしに対する滝本弁護士の名誉毀損は成立しなかったのです。
いわゆるオウム事件が起きたとき、わたしは11歳の子どもで、関与どころか事件の存在も知りもしませんでした。父も、周囲にいた大人たちも、わたしに事件の話をすることはありませんでした。
裁判所も、わたしについて
実際に無差別攻撃する可能性があったことを基礎づける事実の証明はない
と述べ、
さらに判決では、わたしが小さい頃、教団の運営を行う地位に就いたことがあることについて“名目上”とし、
オウム真理教を事実上承継した集団や元信者の中で、原告が主催している集団や原告を指導者と位置づけている集団が存在すると認めるに足りる証拠はない
とも認定しています。
滝本弁護士が公開したのは「三女派」――わたしと、その派閥――への監視を求める公安調査庁等への上申書です。公安調査庁が行うのは団体規制法に基づいての監視ですから、無差別攻撃のおそれが必要です。
そのおそれのない人を監視対象にせよと主張したら、名誉毀損が成立しないとおかしいです。
もしかしたら裁判所は、滝本弁護士を名誉毀損で負けさせないため、誤解しても仕方がなかったと、かばったのではないかと感じました。
しかし、事件にかかわったこともなく16歳で教団を離れ、その後も事件とは無関係に社会で年を重ねてきたわたしについて、そのような「誤解」を抱くことは、本当に仕方がないのでしょうか。
わたしは、麻原彰晃=テロ事件、麻原彰晃=人殺しの首謀者だから、その娘もテロ事件を起こすおそれ、人殺しをするおそれがあると言われても仕方がないという考えが、裁判所にもあったのではないかと感じてしまいました。
確かにむかしは、親の罪が子どもに縁座する時代もありました。個性を剥奪され、「ひと」が一族の、家族の一部としてしか扱われなかった時代もありました。
しかし時代はすすみ、現行の日本国憲法が「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)と規定しているように、縁座制は過去のものとなったはずです。
わたしは父とは別人格ですし、先ほど申し上げたように何ら事件に関与もしていません。事件は決して起こしてはならなかったし、起こらないでほしかったと思っています。
父の娘だからという理由だけで、無差別攻撃する可能性がある人物だと考えるのがやむを得ないというのは、出自による差別以外のなにものでもありません。しかも、滝本弁護士は、その「誤解」を内心にとどめるのではなく、公にしたのです。
憲法14条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記されています。
裁判所は、わたしを「麻原彰晃の三女」「麻原彰晃の子」だという偏見を持たず、きちんと法に基づいて審理を行ってくださったのか――。
わたしがかつて、親や周囲の大人に「正大師」「アーチャリー」等特殊な立場に置かれたことがあったとしても、あるいは報道被害を受けていたとしても、それは自分の意志とは関係ないところで生じた過去のことです。
2015年3月には講談社がわたしの自著『止まった時計』を出版してくださり、中には教団とは無関係であるという事実も書かせていただきました。
滝本弁護士が「上申書」を公開したのは、2018年。「誤解」をやめ、正しい情報を集めるのに十分な時間がありました。しかしその間、滝本弁護士がわたしに対し、事情を聞きたいと言ってくることも――直接会うことをためらうのであれば――書面による問い合わせなどの申し入れをしてくることもありませんでした。
わたしは裁判所が、滝本弁護士が「オウム真理教問題の第一人者」と名乗っていらっしゃることや、情報の修正をするのに十分な時間があったことを、きちんと判断してくださったのかという疑問も抱いています。
生い立ちや、子どものころの環境をかえることはできません。すでに生じた報道被害についても同様です。
裁判所には、逃れられない過去、変えられない過去を理由に、滝本弁護士がしたように現在のわたしを傷つけることは、やってはいけないことだと、毅然とした態度で判断していただきたかったです。
わたしは、たとえ誰の子であろうと、親を理由にテロリストや犯罪者扱いされない日本であってほしい。
人がひとりの人間として認められる、そんな社会であってほしいと願っています。
この点は、控訴審においてしっかりと訴えていきたいと考えています。