「松本元死刑囚 三女の訴えを棄却 東京地裁」
https://megalodon.jp/2022-0308-1932-05/https://www.fnn.jp:443/articles/-/325216
フジテレビの記事は、ヘイトを煽るものでした。
記事が記載されたYahooニュースのコメント欄の内容を、一部転載します。
名誉?そんなもんあるか?
三女。親のしたことを思えば、訴えなんてまともな人間なら到底できない。
まあ、まともじゃないからこうゆう訴えができるのか。
親と同じ自己中かプーチンか!
同類やな。
国家反逆してたんだから、一族国外追放すべき。
他国なら全員処刑されてるよ。
まだ、許されないでしょう
殺された身内の、家族の気持ち考えたら、
まだ、許されない我儘すぎ!
あなたたちは、もっと、苦しみなさい!
たしか、こいつも幹部だったんたね、なのになんで逮捕されてないの、歳とか関係なくあのテロを起こした組織の幹部なら刑務所に入れるべき
親が親なら子も子だなって思われるよ…。
親がやった事は名誉毀損以上の事だよ…。
親を恨むしかないね。
史上最低、最悪の人間の子供とかめちゃくちゃ大変そうだけど、なんか便乗して金取ろうとしてるのがなんだかね
こうやっていつまでも、殺人者の父の名を利用して生きていくつもりなのだろうか。。
これこそ、親も親なら子も子。という事だね。悲しい。
自分の親がしたことを分かってるのか。
罪名なんてなんでもいいから逮捕して、刑務所に収監すべきだ。
あの親にしてこの子ありって感じ。
血はあらそえない。
せめて松本智津夫の三女には他者を侵害しない事を望む。
こんな危険な思想を野放しにしてるって相当問題なのに、社会は学習しないね。
危険な思想を野放しにしたから、そいつらが集まってテロが起きたのに。
新たな資金獲得を狙っているようにしかみえませんね。いろいろ裁判やられているみたいですが、全て敗訴するでしょうね!!
それよりも過ちを認めるべきです。
とは関係ないなら文句を言わない。関係あるなら謝罪すること。訴訟や賠償金を乞うよりも、裁かれた罪と向き合い慰謝料を払うのが筋。 これだから加害者親族は差別される。自ら招いているのに気づこうともしない。親に似て自己中で我儘な娘さんだ。法を犯しておきながらその法に頼るとは厚顔無恥。この人を擁護する理由が見つからない。
家族、親族、全部まとめて死刑でもよかったと思える発言です
法務省の「ヘイトスピーチ、許さない」というページには、「◆ヘイトスピーチって何なの?」という項目があります。
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が、一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (前述「人権擁護に関する世論調査」より)。
例えば、
(1)特定の民族や国籍の人々を、合理的な理由なく、一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
(「○○人は出て行け」、「祖国へ帰れ」など)
(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
(「○○人は殺せ」、「○○人は海に投げ込め」など)
(3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの
(特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)
などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。
日本大百科全書(ニッポニカ)「ヘイトスピーチ」の解説には、
人種、民族、宗教などの違いに基づき、特定の個人、集団、団体などを、差別的意図をもって攻撃、脅迫、おとしめる言動。「憎悪表現」「差別的表現」ともいわれ、ヘイトクライム(憎悪犯罪)の一種である。一般的な悪口とは異なり、明確な差別的意図に基づく暴言、暴力や差別的行為を助長・扇動する言動をさす。演説、デモ、街頭宣伝のほか、記述、ネット上やメールでの憎悪をあおる行為も含まれる。マイノリティ(少数者)に向けられることが多い。
と書かれています。
わたしは特定の人種や民族に属しているわけではありません。オウム真理教を信仰する者でもありません。しかし、わたし――わたしたち家族といっても過言ではありません――は、「松本智津夫元死刑囚の家族」とグループ分けされ、「一族」「一家」としてヘイトを向けられています。
これは、今回のフジテレビがそうしたように、視聴者や読者のヘイトを煽るようにマスメディアがすべての日本人に向けて情報を発信してきた結果として起きていることです。
「一族国外追放すべき」
「あなたたちは、もっと、苦しみなさい!」
「親が親なら子も子」
「逮捕して、刑務所に収監すべき」
「家族、親族、全部まとめて死刑でもよかった」
――ヘイトを回避するため、妹の松本聡香のように、ヘイトをする側にまわる家族もいますが、姉やすぐ下の弟などは、わたしの目の前で「壊れて」いきました。姉たちもまた、わたしが「壊れて」行くさまをその目で見て、深く傷つきました。自分だけが「壊れる」だけならまだしも、家族の心身が「壊れていく」さまはまた別のつらさがあります。
ヘイトは、ヘイトを向けられたひとだけが傷つくわけではありません。そのひとを大切に想っているひとたちも、深く傷ついてしまいます。
社会から排斥されても、ヘイトを向けられても、笑顔を浮かべて何も傷ついていないふりをして、きょうだいと向き合おうとしたこともあります。だけど、それを見たきょうだいは、わたしを心配させないように扉の向こうで、声を押し殺して泣いてしまうのです。
わたしは松本麗華という一人の人間です。鋼の心臓を持っているわけでも、組織に守られているわけでもありません。
わたしを否定し、もっと苦しめといわれ、テロリスト扱いされ、社会的死を望む言葉のひとつひとつが、わたしの心を切り裂いていきます。
わたしが存在することがいけない。そもそもわたしが消えれば、もう報道被害に苦しむこともないのではないか。
わたしを支え、助けようとしてくださった方々――松井先生など多くの方の人生を変えてしまったけども、わたしが普通に生きられる日はもう来ないのだろう。報道被害に対し、名誉毀損で訴えて防衛しようとしたら、また報道被害を受ける。それを契機としてヘイトが向けられる。今回のフジテレビの記事は、この悪循環を作り出しているのです。この悪循環は差別する側が止めてくれない限り、終わることはありません。
死にたいほどつらいです。死にたいほど苦しいです。明日をもう見たくありません。
悲しみとあきらめの気持ちが、わたしを絶望の淵に沈め、呼吸をしていることに気づけば、自分が生きているということを思いだし、涙があふれてきます。人生のほとんどをテロリストや犯罪者扱いされて生きてきました。まだ苦しめといいますか。いつまでですか。生きているうちに、わたしが普通に生きられる日は来るのでしょうか。
闘って、闘って、闘って――その先に何があるのでしょうか。多くの人がわたしの「死」を待っているのを感じます。「麻原の子」はまだ死なないのか、まだバッシングが足りないと考えているのではないかと感じてしまうのです。
松井先生はわたしに「生きろ」といいます。しかし、いまはどこまで耐えられるか自分でもわかりません。
フジテレビは、大きな影響力があるマスメディアであるからこそ、事実に即した正確な報道をして欲しいです。ヘイトを煽るような報道は、もうやめてください。